なるろぐ

ADHD/ASDの記録

2017年、ADHDの診断から障害者手帳取得まで

 

2017年、まとめるとタイトルになりますが、まあいろんなことがありました。整理も兼ねて時系列で書いてみます。

 

1月:末頃に現在の病院へ。

2月:ADHDの診断が降りる。カウンセリング開始。

3月:記憶なし。

4月:3月から4月の変わり目を挟んで11連勤。末に大きめの仕事。だんだん適応障害の症状が出始める。

イーケプラ、コンサータの服用を始める。

5月:いよいよ限界がきて上司に話すも理解されず、余計に精神状態が悪化。末から有給の消化に入る。5月から自立支援の適用になる。

6月:有給消化を終えて退職。軽躁期(バウムテストでも出ていた)

コンサータストラテラに変更。2週間後80mgに増量。

7月:反動でうつになる。担当医が変わる。

レクサプロ半錠が追加になる。

8月:軽躁期。やたら活動的になり泊まりの旅行にも行った。月末に受けた試験に落ちたことでうつに転ぶ。

9月:一年ほど前から出ていた「文字を読むときに目が滑る」症状が治らないことに悩む。

10月:一度ストラテラを120mgに増量するが副作用が強く80mgに戻す。月末からアルバイトを始める。

11月:アルバイトに慣れることで必死。

月末からレクサプロが10mg(1錠)に増える。

12月:アルバイト先にカミングアウト。半ばに障害者手帳が届く。

 

昨年の秋から今年夏頃までの記憶がぼんやりしていてうまく思い出せません。とにかくただただつらくてしんどかった。――ということも最近になってやっと認識できるようになってきました。抗うつ剤の服用によって日常的な希死念慮が消えたのは(たまに出ますが)よかったなあ、と思います。あと対人恐怖が弱まったこと。これは慣れていけたら就ける職業の幅も広がるので長期的な目標としてひとつ。

9月頃まではずっと大好きだった小説が読めなくなった(興味が薄れた)ことがショックでしたが、最近はエッセイを読むようになって読書量が戻りました。

 

2018年は、やりたいことを我慢せず、かつ仕事をもう少しできればなあ、と思います。

自分のエネルギーのコントロールが課題ですね。

 

本当は障害者手帳のカバーにトラベラーズノートパスポートサイズがぴったり!……という記事を書きたかったんですが、また来年にします笑

 

では良いお年をお迎えください。

ストラテラ服用開始から半年

 

倒れたり軽躁でウルトラハイになったり抑うつで倒れたりしてるうちに半年も経っていました。なんと。

 

先日バイト先(長期採用になりました)へカミングアウトをし、温かく受け入れていただいて、前の職場を退職して半年にしてはなかなか良い感じだなあ、とありがたく思ってます。しみじみ。

 

フリーランスで仕事がしたいと思いつつも、手を出したら頭がいっぱいになってしまったのでそちらはしばらくお休みの予定です。

今までずっと全力で走り続けてきたので、それ以外のやり方がどうもわからなくて無理をしては倒れてしまいます。とりあえずこのパターンから抜け出すのが年度内くらいの目標でしょうか。

手帳の申請が通り、近々受け取りに行ってきますのでまたそれも書けたら、と思います。では。

すべての根源が愛着障害疑惑

 

11月もあっという間に半ばを過ぎましたね。

ブログを再度公開してから、検索から過去記事を閲覧されてる方が増えたのでよかったなあと思っています。

 

多動と強迫観念の差はどこにあるのか

きっかけは医師に母が活動的だと言ったら「それはお母さんもADHDなんじゃないですか?」と言われたことです。

…まあ、そんな気はしていました。というか、母も愛着障害かつカサンドラではないかと(勝手に)思っています。

 

A いつも何かしらしている

B いつも何かしていないと落ち着かない

病理としての自覚があるかないかだけの違いの他に何かあるでしょうか。専門知識がないのでわかりませんが…

 

どちらにせよ、力を抜いて心身を休めるようになればいいのだろう、とカウンセリング等々を通して考えるようになりました。

過集中なのかいつもフルスロットルで飛ばして疲れ果てるのが私なので…

 

現状、愛着障害発達障害の見分けは医師にもできない(と書籍で読みました)。

母がどうであれ、私がその二つを重複しているのであれ、楽に生きられる道を探って行くしかないですね……。

 

アルバイトも、クラウドの仕事も順調に進んでいます。次なる目標は自活ですがまあぼちぼちやるのも目標にしておきます。