なるろぐ

ADHD/ASDの記録

コミュ障という言葉の軽さ

 

最近、何人かの方と知り合うことがあって、ツイッターで話すだけでなくて通話をしたり会ってお話ししたり、している。

それで気づいたのだけど、私はもしかすると話すのがそこまで苦手ではないのかもしれない。

聞き取るのは苦手だ、APDがどんどん悪化しているし。でもリプライというよりはお喋りのようなやりとりやチャットをして時には通話や会話をして楽しいと思うし、終えて気が晴れていることも多くてとても嬉しい。

いつも輪に入れなかった。どんなコミュニティでもうっすら孤立してうまく喋れなくて変な顔をされてなにか喋ろうと思って言った言葉で空気を凍らせて黙った方が早いと思うようになっていた。空気が凍るのはわかるのに適切な発言ができないアスペとか最悪だと思っていた。それが楽しいと思える日が来るなんて、生きていた意味はあったんだなあと大袈裟でなく思う。

 

 

 

 

SSRIを服用して20年近くあった希死念慮が消えてから、死にたいと思えなくなって悩みの果てがなくなっていて、8ヶ月前の私は今にも死にそうですがだいたい就活のせいですね。

誕生日と人生のifルート - 愛なんて壮大なフィクション